貞観11年創建――住吉大神を仰ぐ1150余年の社
田蓑神社の起源は、神功皇后が三韓征伐の帰路にこの島へ立ち寄った故事にさかのぼる。島の海士が白魚を献じたという伝承が残り、数百年後の開拓時に再び海士が現れ、皇后の御船の鬼板を安置して住吉大明神を祀るよう告げたことで社が建てられた。貞観11年(869年)9月15日のことで、御祭神は底筒之男命・中筒之男命・表筒之男命の住吉三神と神功皇后の四柱。御船の鬼板は神宝として今なお奉安されている。
社号は時代とともに変わってきた。創建時の田蓑嶋姫神社から寛保元年(1741年)に住吉神社へ改称し、明治元年(1868年)に田蓑神社へと定まった経緯がある。鎮座地は神崎川と左門殿川の分岐点南方、かつて難波八十島を構成していた田蓑島にあたる。平安期には天皇即位の八十島祭が行われた祭場と推定されており、個人的には大阪市内にこれほど古層の祭祀痕跡を持つ社があること自体が印象的だった。
家康公との邂逅が刻んだ佃の名と漁業特権
天正14年(1586年)、住吉大社参拝後に多田神社へ向かう途中の徳川家康公がこの島に立ち寄り、漁民が神崎川の渡船を担ったことが縁の発端だった。家康公は全国での漁業権と納税免除を与え、さらに「人はまず田で働け」との言葉とともに村名を田蓑から佃へ改めさせている。漁業には納税義務が課されなかったため、佃村は周辺集落より経済的に恵まれた暮らしを享受するようになった。神社名には旧村名を残す形で住吉神社から田蓑神社へ変更された。
天正18年(1590年)、家康公の関東下向に際して佃の漁夫33人と宮司の弟・平岡権太夫好次が分神霊を携え江戸へ同行している。寛永年間に鉄砲洲向かいの干潟を拝領して築島し、故郷の名を取って佃島と呼んだ。正保3年(1646年)に住吉三神・神功皇后・家康公の御神霊を奉遷し佃住吉神社を創建、大坂の役では武器運搬や食料調達で徳川方を支援した記録も残る。
元禄の狛犬と「佃漁民ゆかりの地」碑が語る境内
本殿両脇に鎮座する石造狛犬は元禄15年(1702年)の奉献で、大阪府内最古の浪速狛犬として知られる。花崗岩製・像高約50cm、やや釣り上がった太い眉の下に棗型の目を持ち、阿吽ともに垂れ耳で吽形にだけ短い角が付く。尾は楕円形の根元から毛房7本が立つ独特の造形で、江戸前期に完成形のまま大坂に出現した経緯は研究者の間でも謎とされている。東照宮前には昭和2年(1927年)建立の模刻狛犬も並ぶ。
「佃漁民ゆかりの地」碑は平成18年(2006年)、未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選に大阪府で唯一選ばれた。大阪市西淀川区佃と東京都中央区佃の佃小学校同士は1965年から姉妹校として交歓会を続けており、江戸期の縁が途切れていないという声が両地域から聞こえてくる。阪神・淡路大震災では社殿傾斜と社務所全壊の被害を受けたものの、佃地区の人々の手で復興が果たされた。
ふとん太鼓が巡る祭礼と参拝の案内
田蓑神社最大の祭礼では、氏子青年団が先導し子どもたちが大小各1台のふとん太鼓を佃地区内に巡行させる。要所で伝統の大阪締めが行われ、拝殿では巫女による御神楽の奉納がある。境内周辺には10軒ほどの夜店が立ち並び、毎年5月17日には東照宮祭も営まれて家康公と佃漁民の縁を今に伝えている。田蓑和楽会の活動を通じ、世代を超えた地域の交流が続いている。
大阪市西淀川区佃1丁目18番14号に鎮座し、阪神本線「千船」駅から徒歩約15分。境内には駐車場2台分があり、参拝時間に制限は設けられていない。祈祷は事前予約制で、電話06-6471-5416またはFAX06-6471-5059で受け付けている。早朝でも深夜でもふらりと立ち寄れる開放感がある、と近隣住民から聞く機会は多い。


